なみとおばあちゃんの2022年

実は昨年1月から、心臓を手術した母と同居しておりました。家族四人と二匹の中に、突然体の弱った母が加わり、さらにそこにコロナが襲いかかり。

 今、思い出してもなかなかハードな一年でした。そのため、ブログをあげる気持ちもおこらず、わずかに家族の行事で「侘助」を訪れる時だけ、ブログをあげていました。

 そんな中で、母と家族を結びつけてくれていたのが、なみでした。

 母は、89歳でしたが、なみも19歳、人間で数えると92歳でした。リビングの椅子に母が座ろうとすると、なみが座ってしまって、その度に母は「なみちゃんに座らせたげて。なみちゃん、この椅子好きやねん。」と言っておりました。

 ホット座布団に母が足を乗せようとすると、なみとふうが寝そべって、母の足を乗せる場所がなかったり。

 突然やってきた母をすっと引き入れ、家族とつないでくれたなみ。

 母がデイサービスに行くときには。玄関でお迎えが来るのを、並んで待っていました。


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 何度も、母は呼吸困難に陥り、救急車のお世話になりました。救急隊の方とやり取りしていると、なみは初めての方に必ず「こんにちは、どなたですか?」と挨拶をするのですが、その時も緊迫した場の雰囲気を察することなく挨拶に行きました。何度も部屋から追い出したのですが、すぐに救急隊の方のそばにいきます。最後には風呂場に閉じ込められていました。

 後になって、重苦しい空気のなかで、唯一思い出してふっと笑える時間を、なみは作ってくれました。

 今年の1月12日、母は旅立って行きました。

あれもしてやりたかった、こんなこと言わなければ良かった等、悔やまれることは数限りなくあります。でも、一つ言えることは、この一年間は確実に、母を家の中心に据えたことです。

 その母の横には、常になみがいました。

 

 母がいなくなってから、なみはあまり母の椅子に座らなくなりました。

 

 母の旅立から2ヶ月後の3月29日、なみも天国に召されました。いつまでも可愛い女の子の姿で。

 最期の晩に、いつものように「おやすみ、なみちゃん」と言って寝室に行った、多分すぐ後に逝ってしまったと、思われます。

 

翌朝、同じ所で、眠るように横たわっていました。

 

 なみちゃん、今まで本当にありがとう。

19年間、私たちの娘として甘え、わがままを言って、無邪気に遊び、この家族を結びつけてくれたあなたのことを、忘れません。

 ありがとう